「犬」という言葉はなぜネガティブに使われる?
ある日、時代劇を見ていたら(「忠臣蔵」が好き!)、「犬死に」という言葉が出てきて、ふと気が付いた。
「犬」という言葉は、あんまりポジティブな意味で使われてないことが多いのではないか。
たとえば、上にあげた「犬死に」に加えて、「負け犬」、「犬畜生」、「犬侍」・・・・。
「犬侍(いぬむらい)」とは、「武士の道をわきまえない侍」をののしっていう語。これってひどすぎないか?
実は、犬はそもそも「犬・イヌ・入ぬ・居ぬ・否非・否」という当て字が使われ、否定的な意味合いを含んだ言葉だったようだ。
犬はどんな存在だったのか
人間と生活を共にするようになった動物の中で最も古いのがイヌだ。
だから、人間に最も近い動物として、良い意味でも、悪い意味でも、表現の中に採り入れられるようになったではないだろうか。身近で、親愛なる存在だからこそ、愛憎含めていろんな感情が生まれてくるのかもしれない。
「負け犬」や「犬死に」という言葉も、もちろん意味はネガティブなんだけど、自分自身の境遇に当てはめてみたりしたとき、単なる敗者というニュアンスだけでなく、もの悲しい哀愁を含んでいる。本来は忠実で、誠実な動物だから、「犬侍」のような表現が活きてくる気がする。
犬の扱いで一番に思いつくのは江戸時代、徳川綱吉が作った「生類憐れみの令」。
「生類憐みの令」は、実は捨て子を禁じたもので、その他の犬や猫や鳥なんかはついでみたいなものだったらしい。
一、主無き犬、頃日(けいじつ)は食物給(たべ)させ申さず候やうに相聞こえ候。畢竟(ひっきょう)食物給させ候えば、その人の犬のやうに罷(まか)り成り、以後まで六ケ敷(むつかしき)事と存じ、いたはり申さずと相聞こえ、不届きに候。向後左様これ無きやう相心得るべき事。
一、飼い主がいない犬に日ごろ食べ物をあたえないようにしているという。それは要するに食べ物をあたえれば、その人の飼い犬のようになって面倒なことがおこると考え、いたわらないでいるらしいが、けしからん。これからはそのようなことがないように心得よ。
稀代の悪法といわれる中で、現代の「動物愛護法」につながる画期的な法律だ。逆に言うと、それまで犬や猫はひどい扱いを受けていたのだろうか。
英語でもネガティブ?
イスラム教では、犬は「不浄な生き物」として捉えられる一面がある。今でも中東では、犬は嫌われ、嫌がられているのだろうか。
英語でも「犬(dog)」が入ったことわざや表現はたくさんある。良い意味で使われることもあるが、翻訳の仕事をしていて、ネガティブな表現にもたくさん出会う。以下はその一部。
lead to a dog’s life「みじめな生活をする」
go to the dogs「堕落する、破滅する」
put on (the) dog「見栄をはる、もったいぶる」
work like a dog「あくせく働く」
「犬のような生活」って「みじめな生活」?
わが家のの場合は、どう見てもお姫様のような生活なんだけど(笑)。
一応、この記事を書いた方がいろいろ疑問に思われている。犬のひどい扱いなのですが、古来より犬は人と近くに住んでいました。それは正しいのですが、愛玩動物としてというののはごく一部の例でしかなく、多くは野良犬でありあまりいいイメージでがありませんでした。
事情は地域によって違うので、日本限定のお話をすれば、一般に犬を飼う文化が浸透したのは、文明開化を行いヨーロッパ人の真似をし始めてからといわれています。
それまでの犬は、今のイメージでいう所のカラスが近く、人間の近くに生きて、人間の残飯をあさる存在として認知されてきました。
戦国時代の絵巻には、戦場に残された死骸を犬やカラスが食べる様が描かれていたりもしており、江戸時代になってからも引き取り手のない死体や汚物などの処理をしている様子が記されたものがチラホラと存在し、犬=畜生というのは一般的なイメージであったのだと思います。さらに言えば、そういう野良犬は狂犬病などの病気を振りまく存在で、今のゴキブリのように一般からは嫌われていたそうです。
確かに昔は野良犬が多くて、狂犬病なども振りまいていたから、イメージが悪くなるのも当然ですよね。
ご教示いただきありがとうございます。よく理解できました。
現代社会では野良犬はほとんどいなくなり、もし殺傷したりすると今度は逆に”動物虐待”とされてしまいますよね。
犬にしろ猫にしろ鳥にしろ、ペットは最後まで責任をもって面倒を見ることが大切ですね。